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ステント1回目、放射線治療スタート

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放射線治療を開始しました

 退院後、新年初の診察で、食べ物だけでなく水さえ飲み込めない状態であることを主治医に伝えました。すると、つなげて作った食道の通りを良くするためのステント(食道拡張施術)という方法で、食道を広げる施術を勧めてくれました。もちろん、Pくんも私も、そんな方法があったのかと大喜び!局所麻酔をして、喉から器具を入れて少しずつ広げる施術を行いましたが、急に状態が良くなるわけではなく相変わらず飲み込みずらい日々は続きました。

 この時点で21kgも体重が減っていたので心配で仕方ありませんでしたが、Pくんは体を少しでも動かそうと歩ける距離は歩いていました。

 着ていた服はほとんどダボダボになっていたので、ジーンズとジャケットを新調しに行きました。 

 その頃、手術をした幹部に放射線を当てる治療を集中的に数日行っていました。

告知を受けてから、来年の予定、とりわけ未来のことなどを考える事に迷いが出てきました。計画を立てて良いのか、将来の話をして良いのか…と本当に考えました。でも願いを込めて、普通に生活していこう、先のことも計画を立てていこうと決めました。

 まず、行ってみたかった中国舞踊のチケットを昨年予約。数カ月後にPくんがどんな状態になっているか見当もつかなかったけれど、でもその日はやってきたのです。2人で観に行けたのです。 

 “シェンユン”という中国の素晴らしい舞踊の公演でした。別世界を堪能し帰ろうとした時に、インタビュアーの人に声をかけられて、Pくんはまぶしいライトの中で舞台の感想を話していました。(私はカヤの外!)きっと、大手術を終えたPくんに、何か特別なオーラでもあったのかもしれません。とにかく貴重な体験でした。

体重-21kg(86kg→80kg→76kg→70kg→65kg)

放射線を当てるための印。小さい傷は手術の時のもの
術後、約1ヶ月で見に行けた舞踊の公演
公演後インタビューを受けるPくん
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この記事を書いた人

ポエムと猫が好き。甘やかされて育った末っ子です。
高校生の時に出会ったPくんと結婚。お魚の骨は取ってから、甘栗の殻はむいてから…Pくんは父から受け継いだそんな習慣を完璧にこなしてくれました。おかげで、見事に世間知らずのまま中年と言われる年齢になってしまいました。
Pくんの病は、そんな私にとって人生初のあまりにも厳しい試練となりました。

この瞬間にも、どん底に突き落とされてお辛い状況の方たちがいるかもしれませんが、私の日記のどこかに小さな励ましとなることがあれば幸いです。

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